MONEY TALK

CASE. 05
青木裕子
フリーアナウンサー

会社から、社会へ。
がむしゃらだった局アナ時代を経て、
みえてきた「暮らし方」

今回「MONEY TALK」に登場するのは、フリーアナウンサーの青木裕子さん。TBSのアナウンサーとしてバラエティからニュースまで表舞台に立って番組を支え、ナインティナインの矢部浩之さんと結婚。現在は、5歳と3歳の男の子を育てながら、雑誌『VERY』のモデルとしても活躍し、キャリアの幅を広げている。

局アナからフリーへ、そして、結婚、出産。その過程でどんな決断をし、どんな変化を経てきたのか。芸能人という特殊な職業の夫を支える妻として、ふたりの男の子を育てる母として、フリーアナウンサー・モデルの青木裕子として、人生の選択とお金にまつわる話を聞いた。

「ひとりで生きていく」決意をした直後の予期せぬプロポーズ

―― 少し過去を遡って、そもそもアナウンサーになろうと思ったきっかけはなんだったんですか?

大学時代に芸能事務所に所属してお芝居の勉強をしていて、そのまま就職活動もするつもりはなかったんですよ。でも、あんまり上手くいっていなくて暇で。大学の友だちが就活しているのを見て焦って、勢いですべての民放局にエントリーしました。

でも、見事に次々と落ちたんです。そしたら私、悔しくなっちゃって(笑)。たまたまTBSだけ、分社化された年で入社試験が遅かったので、しっかり準備をして挑んだら、内定をいただけたんです。当初は迷いもあったんですが、事務所にも背中を押されたので、アナウンサーの道に進むことにしました。事務所に一言でも引き止められていたら、辞退していたと思いますね。でも、一切引き止められなかったので(笑)。

―― その後、TBSでアナウンサーとしてご活躍されて、退社を決めた理由は?

退社を決めたのは、アナウンサーというキャリアに一度区切りをつけようと思ったからですね。入社8年目を迎え30歳を前に、これからの自分の人生についてじっくり考えたんですよ。アナウンサーを続けるかやめるかという二択の選択の中で、私は後者を選んだ。新しい挑戦をするなら今しかない!と思って。

私は器用ではないので、具体的に次にやることは決めずに、一旦やめてから考えようと思っていました。ただ、本当にぼんやりとですが、幼児教育の勉強をして、子どもに関わる仕事ができたらいいなぁとは思っていましたね。大学時代に保育園でアルバイトをしていたこともあったので。

―― 結婚を見据えて退社したわけではなかったんですね。

違うんですよ! むしろその逆で、彼は結婚願望がない人だったから、私は一生結婚しないでひとりで生きていくかもしれないという覚悟で、"手に職"をつけようと思ったんです。

「自分の人生を生きていこう!」という決意に伴って、彼への依存度が低くなっていって、このままお付き合いしてもしなくてもどちらでもいいかな、という気持ちになっていたんですね。その空気を彼が察したかどうかはわかりませんが(笑)、そのタイミングで突然プロポーズされました。

―― 「ひとりで生きていく」決意を固めた直後の予期せぬプロポーズだったんですね。その際、ご自身のキャリアについても考え直したんですか?

そうですね。正直、プロポーズを受けるべきかどうか迷ったんですけど。彼と結婚することを決めて、自分の挑戦は一度白紙に戻して、家庭生活を優先させることにしました。

ただ仕事は続けたいと思っていて。フリーアナウンサーになるつもりはなかったんですが、結婚発表を彼の番組内ですることが決まって、私も「一般人」としてではなく「演者」として出演した方がいいじゃないですか。 そういう思いもあって、彼にも背中を押されて、今の事務所に入りました。

結婚、出産……時間と気持ちに沿った柔軟なフリーランスの働き方

―― 局アナ時代とフリーになってから働き方は変化しましたか?

局アナ時代は、局員として会社に貢献したい、"女子アナ"として休まず働きたいという気持ちが強かったですね。

フリーになってからは、結婚してから、子どもを産んでから、その時々で働き方が変わっています。今の事務所は、単純に時間だけでなく、私の気持ちにも寄り添って仕事を調整してくれるので、ありがたいです。フリーになって、家族との時間や自分の気持ちを大事にしながら、柔軟な働き方ができていると思いますね。

―― お子さんが生まれた時に仕事をやめるという選択肢はなかったんですか?

子どもが生まれても仕事は続けたいと思っていました。理由はいろいろあって、まず、夫が仕事柄日中に家にいることが多いので、その時に私が家にいるより働きに出た方が家庭が上手く回ると思ったことがひとつ。

それから、子どもに働く母の姿を見せたかった。息子が育つ未来は、今よりももっと女性も男性も関係なく仕事と家事育児をする時代になっていると思います。だから、「女性が働くのは普通」ということを自らを持って伝えたいんですね。

さらに、芸能人という夫の職業柄、いつ何が起きるかわからない。失言なのかスキャンダルなのか事故なのか、明日仕事がなくなってもおかしくないという状況なので、私も働いておきたいという気持ちがあります。

ただ、第一子が生まれた時は、泣きわめく幼い我が子を振り切って仕事へ行くことがつらくて、離れがたくて、このまま仕事を続けていいのか悩んだこともありました。そういった気持ちに沿って、仕事内容や働き方を変えていけるのは、フリーならではだと思います。

―― 仕事を辞めずに、働き方を変えたんですね。現在はどのように仕事と育児をされているんですか?

子どもが生まれてから、時間的にも気持ち的にもテレビのお仕事が難しくなってきたので、雑誌のモデルのお仕事を中心にしています。

長男が幼稚園に通っていて、次男は自宅にいるんですが、私が朝撮影に出かけて、夫が夕方収録に出かけるので、基本的にはふたりで交代で育児をしています。どうしてもスケジュールが合わないときは、母や友だちを呼んで助けてもらっていますね。

肩書きこそフリーアナウンサーですが、結果的に今、局アナ時代とは全く別の仕事をしていて、子育てという新しい仕事も加わって、人生って面白いなって。

―― 回り回って、当時決意されたような、アナウンサーとは別の道で、子どもに関わる仕事もなさっている。

子どもができて家計を見直し。子どもの将来の選択を狭めないために

―― 子どもが生まれて「お金」に対する意識は変化しましたか?

変化しましたね! それまで私は、一生働くつもりだったし夫に養ってもらおうという気持ちも一切なかったので、夫がいくら稼いでいていくら貯金があるのか、全く知らなかったんです。夫もお金に執着もなく、豪遊するタイプの人ではなかったので、特に心配もしていなくて、家計はそれぞれで。

子どもが生まれてから初めて、二人でお金の話をしましたね。どの保険に入るか、このまま賃貸に住み続けていいのか、子どものためにいくら貯金をすればいいのか。私たちふたりだけなら、お互い自立しているし、どうにでもなるんですけど。子どもが将来留学をしたいと言いだすかもしれないし、子どもの将来の選択を広げるためにも、お金は貯めておきたいなって。

それで一時期、「お金のことちゃんと考えてる?」と口うるさく言ってしまったこともありました。一方、人が変わったようにセコセコしてほしくないという思いもあったので、親名義で子どもの将来のための口座を作って貯金して、今はそれ以上のことは口出ししないようにしています。

―― 今でも家計は別々なんですか?

私たちはお互いに収入が毎月安定している仕事ではないので、一旦それぞれの収入を同じ口座に入れて、そこから毎月同じ額を給与のようなかたちで引き出しています。そのお金はお互いに自由に使っていい。

でも結局、ふたりとも、息子の習い事や買い物、旅行など、お互いにそれぞれその時々で、家のことにもお金を使っていて、ごちゃ混ぜですね。どうしても私の方が、家のことをする機会が多いので、出費が増えて、損をしている気もしますけど(笑)。

夕食は人参1本!? 貯蓄を楽しみにしていた局アナ時代

―― 青木さん個人のお金の使い方は変わりましたか?

私は貧乏性で、お金を使わなくても生きていける人間なんですよ。局アナ時代はほとんどお金は使わず貯蓄していましたし。

貯金は好きだし、自信があります! 貯めるコツは、明確な目標金額と期間を決めること。毎月コツコツではなく、「年内に●●円」という目標設定にすると、締め切り間際に足りていなかったら、ギリギリのところで節約ができるんです。達成した時に定期預金に移すんですが、その時の快感と言ったら!(笑)

大学時代はおしゃれも好きだったんですが、局アナ時代は、ブランドものも持たず、10年くらい着ていた服もありましたね。なんでかなーと思ったら、当時は週刊誌に撮られて叩かれることに怯えていたんですよね。

最近、モデルの仕事をするようになってから、職業柄、トレンドもチェックするようになり、服や美容にお金をかけるようになりました。36歳の母ということもあり、年相応の格好をするというのも子育ての一環かなあと。

―― 局アナ時代からコツコツ貯めていた貯金の使い道は?

特に使い道がないのに貯めてしまうのが貧乏性なんですよね。

―― これまでお金に困った経験はありますか?

入局1年目はお金に困っていましたね。入社当初は基本給も高くなく、残業もなく、思っていた以上に手取りが少なかったんですよ。それなのに、人生初めての一人暮らしを始めたばかりで、大学時代の服は着られないので買い足さなきゃいけない。

しかも、うちの両親は、「20歳を超えたら自立しなさい」という教育方針で資金援助もしてくれなくて。家を借りる時に両親からお金を借りたんですが、月々の返済額と返済が滞った際の利子が書かれた契約書を交わしましたからね。それくらい、甘やかしてはくれなかった。

なので、お金がなくて、夕飯を人参1本で済ますこともありましたね。料理をするのも面倒だったのでそのまま齧る。ダイエットにもなると思って(笑)。

―― 人参1本!? 意外すぎます……! 女子アナの生活はもっと華やかなものだと勝手にイメージしていました。

私は地味でしたよ。いつも社食にいましたし、飲み会に行ったり派手な遊びをすることも全くなくて。当時は、本当に週刊誌に撮られたくないという思いでビクビクしてたんですよね。

唯一お金をかけていたのは、住む場所かな。最初に住んでいたところは家賃が安い小さなアパートで、電気を点けただけで帰ってきたことがわかってしまって。だから、外階段がなくて、外から電気が点いてもわからない家に住むことには、お金をかけていました。それ以外は、お金をかけず、コツコツ貯蓄を楽しんでいましたね(笑)。

入社1年目で自分を救ってくれた「朗読コンサート」開きたい

―― 局員なのに、週刊誌に追われるなんて、なんだか理不尽ですね。

そうなんです。当時は、自分を見失いそうになっていましたね。局員だけど、発注を受けるような形なので、仕事を取っていかないといけなくて、「目立ちたい」とか「有名になりたい」という気持ちはないのに、「最近出てないね」とか言われると焦る自分もいて。私はなんのために、働いているんだろうって。

―― 青木さんにもそんな時代があったんですね。入社1年目のその葛藤はどう乗り越えたんですか?

「朗読コンサート」があったからですかね。1年目につまずいてしまって、テレビの仕事がなくて落ち込んでいた時に、朗読コンサートの仕事をさせてもらったんです。

その時に、先輩が「アナウンサーとしてなっていない!」という叱咤激励とともに、姿勢や声の出し方まで、厳しい指導をしてくださって。この時の朗読コンサートと先輩の指導がなかったら、入社1年目でやめていたかも。TBSで8年間アナウンサーを続けて、今の私があるのは、いい先輩と朗読コンサートのおかげなんです。

―― 素敵なエピソードですね。これからやっていきたいことはありますか?

雑誌のお仕事は、これからみなさんの期待の声に応えられるように、もっと頑張りたいですね。1ページからスタートして、少しずつページ数が増えていって、今やっとその一員になれたところなので。

子育ても、一個人の家庭のことではあるけれど、私は社会の一員としてやっていると認識しています。VERYの特集でも、「『きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ』と将来息子がパートナーに言わないために今からできること」という特集が組まれて話題になったけれど、息子を「自分のことを自分でできる人間に育てること」は私の責務だと思っています。それが、案外難しい。

あとは、やっぱり声を使ったお仕事もやりたいですね。朗読コンサートやナレーションなど。先日、田中みな実ちゃんとラジオで共演した時に、朗読コンサートをやりたいねって話していて。みな実ちゃんとは、朗読コンサート「星の王子様」で共演したことをきっかけに仲良くなったんです。私が王子様で、みな実ちゃんがバラで、気持ちが通じすぎて、泣いちゃうんですよ。また、ふたりで共演する「朗読コンサート」を実現したいですね。

フリーアナウンサー 青木裕子 / プロフィール

2005年に慶応大学を卒業し、TBSテレビにアナウンサーとして入社。入社3ヶ月で『サンデージャポン』を担当。その後『News23x』をはじめ、報道やスポーツなど多くの番組を担当するなど天真爛漫な人柄で注目を集める。2012年12月末にTBSを退職し、フリーアナウンサーとして活動をスタートした。現在、雑誌「VERY」をはじめ、モデルとしても活躍中。

interview&writing:徳 瑠里香
photo:きるけ。

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